「日本子ども社会学会」設立の目的

「日本子ども社会学会」設立の目的

「日本子ども社会学会」設立の目的

本学会設立の歴史は、平成5(1993)年10月9日、日本女子大学で開かれた第45回日本教育社会学会大会でのラウンド・テーブルにまでさかのぼることができる。

「子ども社会学の構想」というのが、ラウンド・テーブルのテーマであった。

広島大学の片岡徳雄(所属はいずれも当時)らの呼びかけに応じて、40名あまりの会員が参加し、まず話題提供者として4人が発言した。

世話人の一人である藤本浩之輔(京都大学)は、従来の研究の枠組みでは 、子どもを文化の受け手としてとらえがちであったが、子どもの文化創造という視点が欠如する。「児童文化」とは異なる「子ども自身の文化」研究がだいじではないかと指摘した。

住田正樹(九州大学)は、社会化研究を中心に論を進めながら、子ども社会学の持つアプローチや研究方法の多様さを紹介し、子ども相互や子どもと社会とのかかわりを解明していく必要性について述べた。

深谷昌志(静岡大学)は、長年にわたる子どもを対象にした質問紙調査の項目づくりの苦労話を交えながら、実証的な子ども研究は方法の上で、特にエモーショナルな部分をとらえきれない点で限界があり、子どもの生活を子どもの論理でとらえる必要性を力説した。

森 楙(広島大学)は、子ども研究の自分史を紹介しながら、幼児社会学が分野として認知されず、学会でも関連発表が別々の部会に散在させられている現状を訴え、まとまって研究交流のできる場としての子ども社会学会の発足に、大きな期待を表明した。

この後、活発な討議が行われ、さらに参加者各人が、自分と子ども研究の関連について話した。

最後に、司会役の片岡が、子ども社会学といっても関心領域や問題意識は広く多岐にわたっているが、子ども研究という一点で共通した研究成果の交流ができる場があれば、学校や社会教育や福祉関係などの実践者にも、喜ばれはしないか、と締めくくった。

これを機に学会設立の気運が一気に醸成されたのである。

こうして早くも同じ年の12月22日に打ち合わせ会が開かれ、翌平成 (1994)6年1月7日に開かれる発起人会準備会(広島弥生会館)に向けての企画案が練られた。

学会設立趣意書(目的)の草案では、学会の正式名称を「日本子ども社会学会」とするが、本学会でいうところの「子ども社会学」は、従来の狭い意味での「子どもを研究対象とする社会学」ではなく「子ども社会の学問」であるという基本的な性格づけがなされた。

しかし、同時に「社会学的」な研究でもあることが共通の了解事項となった。

さらに本学会の骨格を基本的に形づくることになる六つのキーワードとも呼べるものが認められた。「子ども社会、問題状況、社会学、実証的、実践・指導」というのがそれである。

事務局を広島大学に置くことが了解され、会員募集の方法、発起人予定者リストづくり、分科会の構想など、組織づくりのために必要な事項が次々と具体的に検討された。

参加を呼びかける趣意書と学会会則の原案は、片岡・藤本の両氏が作成することになった。

正式の設立発起人を組織するための呼びかけ人になったのは、前出の片岡・藤本・深谷・森・住田の他に、原田彰(広島大学)・高旗正人(岡山大学)・川勝泰介(市邨学園短大)・山田富秋(山口女子大学)・持田良和(龍谷大学)の合計10名であった。

この準備会で作られた「設立発起人お引き受けのお願い」の中にある次の一文は、本学会の性格と目的を最もよく表らわしてしている。

「ここに申します『子ども社会学会』とは、『子ども社会』を総合的に研究する学会であり、狭い社会学に固執するものではありません。日本の『子ども社会』のもつ様々な問題状況を、実証的かつ理論的に究明することを目的とし、その成果を実践・指導に反映することを願うものであります。従いまして、その研究方法は既存の、社会学、教育学、教育社会学、心理学、精神分析学、文化人類学、児童学、児童文学、社会福祉など多岐にわたり、きわめて学際的なものになるとともに、理論的研究のみならず実践的・臨床的な、アクチュアルな研究をも含むことが期待されます。」

この文章は、「入会のお誘い」として、現在まで引き継がれていて、研究分野としてあげられている次の10分野とともに基本的には変わっていない。

  1. こども自身の文化
  2. 児童文化とマスコミ
  3. 子どもの遊び集団と環境
  4. 子どもと家族
  5. 幼児の生活と指導
  6. 子どもと学校
  7. 中学生・高校生の生活と文化
  8. 子どもの福祉と社会教育活動
  9. 子どもの社会史
  10. 帰国子女と子どもに関する国際比較

こうして第1回大会が京都大学で藤本浩之輔大会準備委員長のもとで開催され、同時に発会式が行われた。

1997年2月、会則によって初の役員選挙が行われ、6月の総会で片岡徳雄が初代会長に就任し、1期2年をつとめ、1999年6月深谷昌志と交代した。

会員数も順調に増加し、今年で7回を数える年次大会での発表件数も年々増えている(過去の大会プログラム参照)